合気道・有川 定輝 師範

幼少の頃より武術、宗教に興味を持ち、戦前、目白にあった松涛館流空手を船越義珍 義豪師範より空手を学び、その後色々な流派の空手を学んだ。11歳の時武道協会出版「新武道」という雑誌で、植芝盛平翁の記事を読み、合気道開祖に憧れ、それから数年後、甲賀流忍術代14世藤田西湖氏を訪れ氏に紹介状を書いてもらい合気道へ入門。開祖直弟子となる。

mar0301 戦後の争乱期の中、実戦体験も数知れず。海外では、”Killer”日本では、「鬼」と呼ばれるほど稽古の厳しさでは定評があった。また、武道、古武道、宗教、文化、歴史に対しての研究では、重量として12トンを超える文献のみならず、知識として所有していた。またそれにも増して、合気武道の技術において卓越していた。他武道の先生方との交流も深く、合気会の重鎮として戦後の合気道の発展を見守り、表に出ることなく、合気会を陰で支えた。

若い頃は、「こわい」というよりは、「恐ろしい」というほど強面で、晩年は、「最後の武芸者」と言われる風格であった。

略歴                                                          昭和5年1月20日東京に生まれる。昭和23年合気会(皇武館)に入門。同26年本部道場幹事。同30年指導員。同34年師範。同45年、8段(39歳)。同51年国際合気道連盟高等評議会委員、全日本合気道連盟高等評議会委員、全日本合気道連盟常任理事。また、同44年からは、代行委員会委員を務める。昭和34年から15年間、「合気道新聞」の編集長を務め、合気道の発展貢献と新聞業務の基礎の確立という功績に、同49年二代目植芝吉祥丸道主より、第一号特別感謝状を授与。朝日合気会、一橋大、津田塾大、法政大、東海大、日大、千葉工大等で指導にあたった。平成5年日本武道協議会より武道功労章受賞。平成6年九段位。平成15年10月11日逝去。茨城県土浦市千代田町つくばサンパーク霊園に永眠。

*写真は有川師範が公式の場での最後の演武です。受身は私です。

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